日常が非日常、日々境界上。

~世界を知り自分を知っていく、少しずつでも面白く生きていく記~ 今弱き人へ、届け。

わたくしが生きていくこと自体の一つのプロジェクト(第一稿)

ご支援と仕事のお声かけのお願いです。

 

わたしは、いわゆる社会に求められる能力も、生存する意欲や気力や体力も、この社会に生きるにはとても不足しています。特にお金を稼ぐ能力と意欲がありません。生きていたいとは思わないので、です。毎朝、起きて「あー、すっきり」「今日も頑張ろう」なんて思ったことは記憶になく、目が覚めた時から疲れているのがいつもで、毎日、目が覚めると無理やり身体を起こし動かしている感覚で過ごしています。日常はその程度が大きいか小さいかの違いで、夜は気力がないので朝に浴びているシャワーで、膝に手をつくことがあるかないかが1つのバロメーターになっています。(そんななのでいわゆる社会に合わせて働くことが難しく、障がいの範囲でも多分なく、お金を稼ぐためだけに働くならばそれだけで日々が終わってしまいます。そうまでして生きていたいとは思わないのです。)なので、存在しているだけで仕事になるということをずっと、いつもどこかで見つけようとしていました。長いこと聞くことに関心を持ってきて、数年前のある時出会った「聴くこと」を学ぶクラスの案内文に、「これ、おれのすることだ!」と思いました。後にそれが、場をひらくということの学びにもなっていきます。けれどそれにはお金が必要でした。自らには実感が必要でした。東京での断続的なクラスでは足らず、大阪に毎月通う1年の終わり頃にようやく始まりに立ったように感じ、結果としてもう1年通います。その度に決断をし、持っていたお金を全てそこに投じました。そこにいた人に比べれば学びの密度や質は劣るものだと思いますし、その学びは終わりのないものです。けれどそこから、自らがしていこうとするのはこれだけだと思うに至ります。学んできたのは、ずっと関心を持ってきてはいた「聴く」こと、その先にあった「場をひらく」ことと人と一緒にいること、人がそのままにいられる場というものでした。在るものを生かすということを含め、そこに出自や持つものやこれまでの経験が全て繋がります。

 

周りに目を向ければ、他の人の有り様に悲しみや憤りを抱いたことがあなたにもあるのではないでしょうか。(わたくしは小さい子を目にしてはいつも「こんな人になっちゃダメだよ」と心の中で声をかけていました。それは、わたくしのような人にならないように、わたくしのような人がいないように、ということなのでした。わたしと他人は同じではありません。けれどそのどうにもならなさ、生きていることの違和感、生きるかなしみが、弱くある人に目が向く一つの要素になっているように思います。)ある時に出会った人がいます。彼女はその頃東京のお寺の多い地域に住んでいました。電話で話しているといつも泣きながら言っていた、「泣いたってなにも変わらない」という言葉が今でも残っています。聞くのは暴力や性暴力に遭うこと、見るのは思うように動かない体と気持ちでした。自分自身を動かすために彼女は自分で手に入れた薬剤を調合して薬を作り、外出するときにはいつもそれをキレートレモンの瓶に入れて持ち歩いていました。数年の間会っていて、一緒にいたり手助けしたりしていながら、結局、彼女は意に沿わず別の場所に移り、わたしは共倒れになるのを避けて離れます。それぞれは、あなた自身かもしれないし、あなたの周りにもいるんじゃないでしょうか。いないと思うのは見えていないだけということはありませんか。ニュースになって見聞きすることをここで言おうとは思いません。理不尽を強いられている人、お金や制度や人間関係での思うようにならなさを抱えている人、他の人のために無理をしている人、そのままにいることや穏やかにいることを許されない人が、いると思います。そのやるせなさや、しんどさや、切なさをどうしているでしょうか。

 

そんなわたしたちが、起きていることや自らを引き受けながら、出会った仲間と、どこかにいる仲間と生きていけるよう、世の中を面白がっていけるよう、そうした学びと遊びのある場をひらいていき、場所を設けておきたいと思います。

何かを教えるところの高いお金を出せないことに諦めるのではなく、専門家に頼るのではなく、わたしたちがそれぞれのわたしとしてあれる、そこで場を共にした人と学びあう、一緒に遊ぶ、今のところ12の項目からなる「まなびあいの時間」。構成的でなく、目的的でなく、約束事は必要に応じてしかない場です。なので確かなことのない、けれどきっと面白くなるだろう場だと思います。(具体的にはこの後の投稿で公開します。公開した投稿はこちら。)

物理的に設ける場所は、一つが、東京の芝の家のような、大阪のココルームのような、誰でも何時でも来ていられる平屋と庭、もう一つが、初めからは無理だと言われても、社会的にだったり経済的にだったり次に行くのに困り事を抱えた人とあまり問題を抱えていない人が同居するシェアハウスになる二階屋です。(再度の計画は後日に公表します。)

場をひらくのは、大阪の縁があり共鳴もするココルームというところと帝塚山の古い家で、3ヶ月後には千葉の船橋の自宅で、場所を設けるのは、船橋にあるその自宅をそうしていきます。こんな場や場所、事ができることで、きっと参加した人や関わった人のそれぞれの世界が面白くなると思っています。(この場や場所とであうことを求めている人、であうことで何かしらが変わることのある人がいると信じています。)

 

けれどわたくしの現状をお伝えすると、自らは手持ちに今月の滞在費もなく、自宅は耐震基準を全く満たさない状態で、シェアハウスについては運営する能力を持っていないだろう状態です。

なので、何の信用もないと思いますが、冒頭に記したような人間ですが、3ヶ月間を大阪に滞在できる費用(月5万円)、シェアハウスのできる知恵や技術やお金を賄っていただけませんか。大阪での滞在費はココルームに支払われるので、アートNPOの支援にもなります。

そうして場や場所があるようになること、わたしが生かされていくことは、わたしと同じような人や上に記したようなことを抱える人が、「こんな人でも生きていけてるんだ、それならわたしも生きていけるんじゃないか」と思うことになるんじゃないかと、「わたしは生きていていいんだ」「わたしは生きていけるんだ」と思える世の中に、誰もが稼げなくても生きていけて誰もが稼げる社会になっていく、それらの小さなきっかけになるのではないかと思っています。

 

できなかったらそれまで、それでもしていくことはそれしかありません。
「武士は食わねど高楊枝」ではいたいもの。けれどこうそうするしかなくなりました。ご支援をいただけましたらありがたいです。お願いします。
円坐、影舞、未二観を通奏低音にした、これ自体が一つのプロジェクトだと思っています。
企画について、個人のアカウントによる発信では必要としてくださる人に届かないように思いますが、まずは公開して、一つひとつ場をひらいていきます。
医療とアートを考える会の方々がお招きくださったように、
円坐、影舞、未二観そのものや、それを元にした研修などのお仕事を承ります。
 

あそびのあいだ又はおといへのご支援(口座・キャッシュレス)・仕事のご依頼の宛先

 

(この文章はコミュニティオーガナイジングによるパブリックナラティブの作り方に寄せて書いています)

ここの管理人、投稿者本人について

仕事・はたらきについて


個人の方も。集まりの方も。
一緒にいることそのものを、仕事としてお受けします。
一緒にいること、会話を重ねることから、仕事になっていくことがあります。
何なりとお問い合わせください。

 

企画の一つ

 

ブログ

 

ご縁ありましたら、よろしくお願いいたします。

高橋亘という人の写真集

高橋亘という人の写真集。彼の写真には、それが本になったとき、開いた頁にある写真を視界に入れて頁を繰るまでの時間をそこで過ごし、ゆっくりとその一枚をめくる、そんなふうに読んでいきたいような、また別に言えば、静かな感じ、(そのままに)映そうという眼差し、温もりやあたたかさや冷たさというのとは違う温度、どのようなかの手触り感、そのようなものがあります。
茶店(カフェというよりも)や、旅先のゲストハウスや、散歩で立ち寄った場所で、一人の人によって、二人組の一人によって、開かれている光景が浮かびます。
そこに置いてあるのでも、その人が鞄に入れていったのでも、落ち着くその場所で。
彼は28歳になったばかり。ココルームのスタッフで、釜ヶ崎に来て3年、その間に写真を撮ることに出会った。彼の鳴らすギターの音は心地よい。
そんな写真集を持ってどこかへ行きたい人に、置いておきたい喫茶店やゲストハウスの誰かに、買われると、手に渡るとうれしい。
彼の初めての写真集。この先を見ていける始まりとも言える。
https://watarutakahashi.studio.design/
引かれそうな人がいたら教えてあげてくださいな。

 

寄付の意味・特段生活の変わらない人の「10万円」の使い道に

「ココルーム応援プロジェクト」の文章を投稿して数日後、人から一つの記事を紹介されました。

 

 時事ウオッチ:寄付は政治を動かす=富永京子 - 毎日新聞 

 
寄附は「政治を巻き込みうる行為」、
少なくない人が「直接手を差し伸べられな」く「できることは限られ」ると思い関心をそらす、
制度を利用する」ことが先人の活動を継ぎ将来世代の世界を変えることになる。
 
自他(人だけではなく)と向き合い相手を信じ、
互いに助け合い、支え合いながら強くなるからこそ、自分の愛するかるたという世界がより長く引き継がれ、多くの人を感動させる」、
「他者への信頼に基づく貢献は、より継続的な形で、支援する人もされる人も巻き込みながら世界を豊かにする力がある」。
 
自分のお金を考える、
使い方は力になる、
自分たちに返ってくる、
そんなことを改めて思います。
 
罪悪感や迷い、自信のなさも含めて、こうして人に届くものにあらわしてくださると、
学が違うとしても、このような状況にある者として力を与えてもらったように感じます

 

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この毎日新聞の記事を読み、どういう人だろうと検索し以前の記事やTwitterを拝見し、同日の朝日新聞のも読みました。

どちらもほんとにそうと思いました。

寄稿者ご本人のツイートはこちら。

(富永京子のモジモジ系時評)他者への信頼あれば:朝日新聞

全文読めます。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14464501.html

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個人発信・「であいと表現」、試み続ける!わたしたちの日常に、将来に、色彩をみる、きく、ココルーム応援プロジェクト

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個人発信・「であいと表現」、試み続ける!わたしたちの日常に、
            将来に、色彩をみる、きく、ココルーム応援プロジェクト
    ~わたしたちはかかわりあって表現しあって生きている。
     見つめ、聴き、それぞれの「間」で、ともに生きていく。~

 

話を始める前に、これを読まれる方に、もし、今回の新型コロナウイルス流行に伴って、最前線と言われる現場で働かれている方々や様々な困難の中にある方々がおられましたら、想像も及ばず言葉も見つかりませんが、知ることができるならばそのご苦労に気を向け耳を傾けたいと思います。

 

今回の話に入ります。

 

このプロジェクトをお伝えするにあたって、個人的な体験とわたくしがココルームという場や場所で見聞きし体験してきたことをお話ししようと思います。

長く感じられるかもしれませんので、その前にあらましをお伝えします。それだけで何事か思われた方は終わりの方にお飛びください。

 

初めに言います、ココルームの経営がピンチ!です。ココルームは大阪は釜ヶ崎(行政的には西成区の愛隣地区)にあるアートNPOで、ゲストハウスとカフェと庭と、ブックカフェと、「釜ヶ崎芸術大学・大学院」を運営しています。

2004年の設立からずっと「であいと表現」の場をつくってきました。それは人と人、人とまち、人とその人、様々な「あいだ」にある出来事です。

あなたが生きる上で大事なことは何ですか?その人がその人のままに社会の中で活かされ生きていけたらいいと思いませんか。人と人とがかかわり合って表現し合って、受け入れたりられたり反発したりされたり嗜(たしな)めたりられたりしながら、共に生きていく。それは日常の関わりの積み重ねにあります。

ココルームはちょっと特異的な環境ではありますが、その日常には普遍性があると思っています。その日常の関わりは、訪れる人や泊まる人、参加する人の周りにも広がっていきます。

そんな日常や試みのある場所が、このままでは半年後に立ち行かなくなってしまいます。みなさんのお力をお貸しくださいませんか。ふるさと寄附金の仕組みによりほとんどの人が、実質2,000円のご寄附で1万円や3万円、お好きな金額で応援することができます。その間に経営を見直し、新たな「であいと表現」を模索し、未来にかかわりを届けていくことができます。平均して1万円分のご寄附をしてくださる方が200人おられれば、1人につき2,000円の出資が200万円になり、スタッフ1人の1年分の人件費を賄うことができます。それはココルームの財政基盤を支える貴重な財源になります。皆さんのお力添えを、お願いします!

よろしければさらにこの後のお話をお読みいただけますか。ココルーム名物のごはんをご一緒するのは稀でスタッフと特に「仲良く」してるわけでもないただの一宿泊者です。それがなぜこんなことをするのかというお話です。

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あなたはココルームに何を見ますか?何を見てきましたか?ココルームは、アートNPONPO法人こえとこころとことばの部屋)で、大阪は釜ヶ崎にあり、釜ヶ崎芸術大学・大学院(以下、釜芸)を運営し、ゲストハウスとカフェと庭と、ブックカフェを運営しています。

その場や場所でわたくしが体験したことをお伝えして、これを読む人が何かしら思うことがあれば幸いです。

わたくしは父親と妹と生活する家にいることが精神的にしんどくなりそこを出て10年ほど、東京などで個人的な仕事とアルバイトで生活していました。アルバイトだけになった時、家賃と生活費を稼いで東京で生きていくということは、とても大変でした。飲食店でのアルバイトを得たものの、わたしにとって接客という仕事は合っていても体力的には厳しく、家賃のために週5日か6日にしていた午前中から夜までの仕事を終えると、徒歩5分の道のりも遠く、家への曲がり角を通り過ぎてすぐのコンビニに入り、お金を余計に使えないところでオリーブオイルポテトチップスをストレスが強いときには2袋買い、帰って座椅子に体を預け厚く歯応えのあるそれを食べるだけして寝てしまう、時には帰宅後や休日に横になったまま体を動かせなくもなる、そんな日々でした。ある時、もうもたない、と思いました。借りていた家を引き払う決断をし、ホームレスも考えましたが家があるならと戻ることにしたものの、そこに親はいなくともそれは、自らの収入で生きられなくなった、あれだけ嫌だった家に戻らざるを得ない、屈辱を伴う大きな挫折でした。

数年前から大阪に通う中で、初めは何も知らずに来て、たまに訪れるだけだったココルームに2年近く前からは泊まるようになります。NPOということも活動全体をアートとしているということも、釜ヶ崎という場所についても、過ごす中で少しずつ知っていきます。縁あっての自身の場をひらくだけでなく、その間に、かなよさん、スタッフである湯川さん、さっちゃん、奥山くん、わたるくん、釜ヶ崎支援機構の山田さんはわたくしのことを見てくれていて、声をかけてもらいコミュニティスペースのお手伝いや別のNPOのお手伝いをするようになります。

それはわたくしをほぼそのまま生かしてくれる仕事でした。それが収入というものにもなります。いくつもの場面が印象に残っています。ある時は、コミュニティスペースの談話室でめったに来ない一人のおじさんが黒い長椅子の端に座り文庫本の小説を読んでいたので、近くの机を離れてしゃがんで話しかけました。歴史小説の話から映画の話になり、こちらは小型のタブレットを手にしていて会話に出てくる作品を検索しながら、もう一度観たい映画に『にあんちゃん』などこれまで全く知らなかった3本のタイトルを聞きました。話が続いて、途中からはよく来るいつもリュックを背負っている歌好きのおじさんが来たので「映画の話をしてたんですよ」と声をかけると話に加わり、あの映画がよかったな、あの映画のあの歌はよかったななど、それまできっと話したことも会ったこともなかった二人が、共通する好きなことを話しわたくしがその場を離れても会話がしばらく続いていました。

それが二人にとってどんな時間だったかは知ることができませんし、きっと多くの人にとってなんでもない日常の一コマだと思いますが、わたくしには目にしてちょっとうれしいような光景でした。それは、見、きくこと、人と会話をすること、その場にただ居ることが仕事になっていることでした。人と居合わせることで人に関心が向き、人や歴史やまちを知り、新たな発想が生まれ、苦楽ある関わりがあり、自分自身が面白くいられて、朝の時間に合わせるのは難しくとも日々を生きることが苦ではなくなっていたように思います。ココルームという場がきっかけになり、他で十分な仕事ができないわたくしがそうして様々な縁や仕事や「はたらき」を与えられてきました。そうして、釜ヶ崎というまちにわたくし自身が救われているのでした。

            f:id:otoi000:20191228183009j:plain三角公園
越冬闘争ではドラム缶の火の向こうに、夏まつりでは櫓と提灯の向こうに、あべのハルカスが見える。

ココルームやその周りでは日々様々なことが起きそれを目にします。あなたは行き場のなさを感じたことがあるでしょうか。周りの人がそんな思いを抱いていたということがありませんか。
釜ヶ崎の「おじさん」たちとの関わりももちろんですが、わたくしが最近になって象徴的に思っていることがあります。ココルームに出入りする若者たちのことです。この場所で彼らのうち誰かに3日に1度は会います。1人の彼は、いつもキャップをかぶりリュックを背負っていて、見知った顔の誰にでも会うと必ず「怒ってる?」「笑ってる?」と聞きます。ちょっと高い声で早口で、その場にいる間に何回も。リュックにはいつもいくつかのぬいぐるみを入れていて、それぞれに名前がついていて、よく彼らとも会話をしているようです。ココルームに来てはスタッフや見知った人と、多くの人とはちょっと変わった、けれど、自然な、普通の会話をしています。それに満足するか時間が来ると、よく電車に乗っている彼は「それじゃねー、発車しまーす」と帰っていきます。ココルームはカフェなのでお客さんからは注文を受けますが、彼らは注文せずうろうろしたり座って会話をしたり好きに過ごしていきます。自然なことのはずですが、いまの社会では普通にあることではないように思います。そのように彼らが出入りし過ごせる場に、わたくしは、わたしたちは「そこに居られる感覚」を持つのだと思います。

もう一つ、ひと花センターというところでの「詩の時間」のことを挙げれば、わたしたちはふだん今いる世界を実感できずに生きているのではないでしょうか、という事も思います。
ココルームにたまたま泊っていた3人組の方々がその時に「詩の時間」に参加されました。数か月後にそのうちの一人の方が再び来られ、その方と話していると、「(詩をつくるペアになった)岡本さんというその存在がわたしの中に残っています」と話してくれました。それまで全く知らなかった人の存在が、このまちということやわたしたちの今いる世界を作ってきた人ということも含んで、「わたし」の中に残ります。鉄道や道路、団地やビル、水道や堤防、今あるそれらのほとんどがそうした人の手で造られていること、造ってきたその人と一緒に生きていることを直接的に知る時、世界の見方や感じ方が変わるのではないでしょうか。講座やワークショップの中ではよく笑いも起き、もやもやや充実感を持ってその場を後にします。

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これらのことはなぜ起きているのでしょうか。その周りにどんな波紋を広げているでしょうか。

釜ヶ崎のおじさんたち、何かの縁で流れ着いた人、困ってやってきた人への関わり、これは「支援」ではありません。人とのあいだにある表現であり、人と関わることを、面白い!と思うことを、覚悟を持って、時に迷いながら、時に矢面に立つことを厭わず、ただしてきたのだと思います。

出入りする人や関わる人の存在が多様であること、受容だけではない関わりがあること、「であいと表現」の場を続けてきたからこその結果として新たなきっかけや変化が様々な人に生まれること、物理的な場所であること、釜ヶ崎というまちにあること。それらココルームの特異性や存在する意義、存在してきたことの意味を挙げればキリがないと思います。

これらは、これまでに関わった多くの、そして現在のスタッフのはたらきがあり、ココルームという接点、「であいと表現」の場をつくってきた活動があってのものです。   

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そのココルームが現在、存続の危機に陥っています。民泊などの増加で新型コロナウイルス流行前からゲストハウスとカフェの経営は「ピンチ!」になっていました。ここ数か月の情勢もあり、このままではココルームは半年後になくなってしまいます。
わたくしにはここでこの営業をしていけるだけの十分に生かされていない強みがココルームにはあると思っています。しっかりと見つめ直したいのは、関わりの積み重ねによる場の力、現在のスタッフとその周りの人のそれぞれの個性とその集合であること。それは現在のスタッフだけでなく、これまでにココルームに訪れたり泊ったり関わったりした人の声を聞き姿を顧みることからより知ることができると思います。もちろん見方によっては良さだけではない見直す必要のあることもあるでしょう。
できることはしつつ強みを生かし、人のなりわいが複数であってもいいように、ゲストハウスとカフェと庭の収入が、その売り上げだけでなく複数の道からあり全体として経営が成り立つようであっていいのではないかと思います。
時の流れによって有ったものが無くなるのは世の常ですが、3.11以降の東北などの被災地に少しながら通った者としても思うのは、10年後20年後に意味が明らかになるような日常というものや、いまここで起きる変化をもたらす日常のある場所を、一度失ってしまったらそれを再びつくることは容易ではなく不可能かもしれず、それらの可能性を持つ日常を失ってしまうことになります。
そこで、今ここで皆さんのお力添えが必要なのです。それによってまずはこの1年を乗り切れるようになると思います。

後述する方法によって、例えば、20,000円分の寄附を実質2,000円でしてくださる方が200人おられれば4百万円になり、全スタッフの人件費の約4か月分に当てることができます。その間に上記にような経営の見直しをすることもできます。

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ココルームが招かれて各地での展覧会になってきているアートとされる「表現」は、前述のような日常の積み重ねがあってあらわされているものです。そのまとめられた「表現」によって感じる面白さや驚きや発見も少なくないと思います。けれどそれは、その背景にある日常の人とのかかわり一つひとつ一コマひとコマがあってこそのもので、それこそが大事なものであるはずです。
そうではあるものの、そのような日常をあらわすことはなかなかに困難です。時に起伏に富んだ事もありますがほとんどは一見して人目を引くような事ではないでしょうし、スタッフは、ゲストハウスとカフェと庭の運営、ブックカフェの裏方、釜芸では告知など、他の場所や団体と関わる場への調整や行き来、バザーの買い物やカフェ利用や宿泊などに話をしたいなどでランダムにココルームに来る人への対応、それらを調子を保てるようにしながら特に人とのかかわりを丁寧にしていると、そのような日常を記すことは時間的に心理的に難しくなるだろうと察せられます。
ココルームで起きている日常は確かに特殊な場でのと思われるものですが、あらわされるであろう日常の出来事や変化は普遍的なもので、展示や新聞などの記事とは異なる身近さや共感をもたらすものだと思います。それこそがココルームの在りようとして伝えられてほしいものです。それを記すのはアーティストや記者ではないのかもしれません。見て、聴き、聞き、記す方法は言葉でも映像でも、一緒にいながら日常を記述しつつその都度に発信する人のように思われます。

今を乗り越えた来年度もまた、数千円分でも数万円でも、お一人が実質2千円でご寄附くださりそれだけの額が集まるのならば、そのような人を雇うこともできるようになり(決してわたくしではありません、念のため。)、日常が記され、それを見るのか読むのかするそれぞれの人の豊かさ、伝えられた人の周りへの豊かさになるだろうと思います。きっと決してバズることはないと思いますが、そのような小さな豊かさが巡り巡っていく世界の原資になるのだと思います。

記し発信する人を新たに雇うのではなくとも、400万円は現在のスタッフの人件費の2人分を賄うくらいになります。それは小さな豊かさの巡る世界の原資になることに違いはありません。

ココルームの日常があり続けることは、人が表現を通して人とであい、かかわり生きていける社会をつくり続けることであり、であう人の変化をもたらし続けることであり、それらが循環し、誰もがいつでも来られる場所があり続けることになります。

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皆さんのお力添えは、ここで出会った表現をなりわいの一つにしようとする人、困ってる人が何かの縁で来られる場所がここにあってほしい人、アートをわたしたちのものとする活動、後から言い表しての「長すぎる社会実験」(※釜芸「写真とことば」写真集より)の支援にもなります。

これからの「であいと表現」を模索すること、経営を考えることは現在進行中で、ここを通り抜けてどうなるかという具体的な姿を今はまだお示しすることはできません。けれど、そのご支援によって、ゲストハウスとカフェと庭のココルームという場所があり続け、スタッフが経済的に支えられ、そのことにより再び実際に人が集えるようになるまで、釜芸の講座はオンラインでただ配信されたりそのシステムをただ使ったりするだけでなく、「であいと表現」は形を変えて、釜芸やココルームという体験もこれまでと違った形で届けられるでしょう。下記に詳しく述べる仕組みを使った皆さんの支えによって、スタッフと「社会実験」に時間と自由と、わたしたちへの可能性がもたらされます。応援はこうして、ココルームという場を設える人の、自分たちを振り返ることや未来を見ようとすること、試みをしていくことの後押しになります。そしてそれは、参加者や後の利用者として受け取るだけでなく、「社会実験」の結果として社会を経由して「わたし」に巡ってくるはずです。

ゆったりできる空間、よく接するものとは違うアートや「表現」、釜ヶ崎というまちや日本という社会に直結するその歴史、あたたかさや面白い!と思うこと、割り切れなさや衝撃、人がであいによって表現を通して生きられること、そんなことのあれこれがわたしたちに今後もあり続けるということです。一年先、二年先の未来から現在を見たとき、どんな世界にいて、どんな選択がされていたでしょうか。現在から未来へ、人が多様なままに表現しかかわり合いながら生きていく、そんな社会をともにつくり続けていきませんか。

わかった!じゃぁ何をしてほしいの?何ができるの?と思われた方はぜひ以下を読み進めていただきたいと思います。

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ココルームでは現在クラウドファンディングhttp://motion-gallery.net/projects/cocoroom2020)を始めていますが、お金というご支援について個人的には「これ!」と思う仕組みがあります。ほとんどの人の使えるお金は有限に思います。応援に使ってくださろうとするお金はその方のお金です。そのようなお金ならば、その方ができるだけ有意義に使えるような方法や選択肢をお伝えすることを全力ですべきと思います。

(この仕組みで受けられるのは、所得控除ではなく税額控除です!
寄附した額から2,000円を除いたまるまる分、翌年の払う税金が少なくなります。
←感想を受け追記しました。)

「なにわの芸術応援募金」は「ふるさと納税」の仕組みが使われているので、例えば、1万円を寄付すると8千円が戻ってくるもので、実質的に、2千円の寄付でココルームに1万円の支援が、3万円であってもそれが2千円でできるということです(大阪市の手数料5%を引いて)。法人であれば寄附金の全額を損金算入できます。戻ってきたお金はお好きなことに使っても、その分を予めクラウドファンディングやこの時期にあって協力を求める他に当ててもよいでしょうし、また寄附をしたり将来の実際にココルームに訪れたり泊ったりすることに使えます。年に一度2,000円を使いそのように寄附してくださるならば、ココルームの経済基盤の一端を大きく担うことができます。
年末調整や人によっては確定申告をしたり控除額を確かめたりの手間は少しかかりますが(例年に確定申告のない方には「ワンストップ特例制度」があり手間を省けます)、てこの原理を使うように支援ができるのはこの制度しかありません。ココルームがこの制度を使える団体に入っていることは双方に利が大きく、この状況にして奇跡的にも思えます。このところの社会情勢では劇場でもなく映画館でもなく一つの業界が応援される仕組みに入らず、いつも制度や枠の少し外にあるココルームは個人の皆さんの支えが頼りです。大阪市に対するココルームの、芸術と文化への実績にもなります。数千円以上を寄附に使えるお手持ちのある方はぜひこちらをご利用いただけませんか。

そして、可能であればこの文章をシェアくださいませんか。また、このプロジェクトに関わりを持ってくださる方はこの記事の末尾をご覧になり、よければご連絡ください、そして「勝手にココルーム経営カイギ!」にご参加くださいませんか。非常なおせっかいで、且つ余計なことかもしれませんがわたくしはここにコミットします。多かれ少なかれ疎まれたとしてもスタッフとともに「今」を作っていこうと思います。次回のカイギ!の日程や企画については、まずは個人のアカウントとFacebookページでお知らせしていきます。

ただの一宿泊者からの発信ですが、こうして広がる変化に加わり、ココルームへの応援をよろしくお願いいたします!

 

なにわの芸術応援募金】はこちらから。

全体説明

https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000309989.html

まずは?寄附金のお申込方法

https://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000006525.html

今すぐ「クレジットカード・コンビニエンスストアペイジー(インターネットバンキング)決済による寄附の開始する」方は上記リンクから黄色いバナーをクリックください。

 注)寄附金の使途内訳を入力してくださいという項の

   「事業の種類」を「芸術・文化団体支援(なにわの芸術応援募金)」に

  確認事項についてご回答くださいという項の

   「寄附金の活用方法で「芸術・文化団体支援」をご指定されている場合は、応援したい団体を1つご指定ください。※「芸術・文化団体支援関係」以外の寄附メニューをご指定されている場合は入力しないでください。」で
特定非営利活動法人 こえとことばとこころの部屋」をお選びください。

ご寄付くださった方は、差し支えなければココルームにご一報いただけましたらありがたいです。

      f:id:otoi000:20191116151405j:plainある日の同じ時間に

ここまで書いてきたこのことを自分の言葉で伝えることがわたくしには必要でした。ココルームという存在とこれまでそこに関わってきた人と現在のスタッフに感謝しています。スタッフとの関わりがあったからココルームに居ることとこの文章になっていて、今のわたくしにとってはそれが関わりと言えるように思います。

その他のご質問やお問い合わせはこちらへお願いします。

おとい(Facebook

   (Mail

 

 

【ふるさと寄附金(ふるさと納税)について】

Q. 誰ができるの?
A. 給与所得者も、自営業者も、年金受給者も。

Q. そもそも、控除って何?
A. ある金額から差し引かれるもの

Q. ふるさと寄附金において税金が戻ってくるとか控除されるってどういうこと?

A. 例) 3万円の寄附だとすると    

    ・確定申告の場合

     |所得税の|次の年の住民税の控除   |実質自己負担|
     |還付  | (税金から差し引かれる)|      |
     |     ↑+↑      28,000円    | 2,000円  |

    ・ワンストップ特例制度の場合

     |次の年の住民税の控除        |実質自己負担|
     |      (税金から差し引かれる)|      |
     |          28,000円    | 2,000円  |

 

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Q. 確定申告が必要でなく、手続きの簡素なワンストップ特例制度を使える人は?

A. ①確定申告の不要な給与所得者
  ②年金受給者で公的年金の収入が400万円以下で他に所得がない者
  ①も②も、寄付先の自治体が5か所以内の場合

 

Q. 控除のない人は?
A. 例)寄附をする本人の給与収入が300万円 夫婦+子2人(大学生と高校生)
    65歳以上で公的年金収入が150万円以下 単身でも夫婦でも

 

Q. 控除上限額は?

A. 例)給与所得が300万円 単身または夫婦共働き(※1)     目安額は27,000円

    給与所得が400万円 夫婦(※2)+子2人(大学生と高校生)  目安額は12,000円

    自営業で課税所得金額が2,591,000円            目安額は71,000円

    年金受給者で年収は公的年金の250万円のみ          目安額は14,700円

 

※1「共働き」は、ふるさと納税を行う方本人が配偶者(特別)控除の適用を受けていないケースを指します。(配偶者の給与収入が201万円超の場合)

※2「夫婦」は、ふるさと納税を行う方の配偶者に収入がないケースを指します。

※3「高校生」は「16歳から18歳の扶養親族」を、「大学生」は「19歳から22歳の特定扶養親族」を指します。

※4中学生以下の子供は(控除額に影響がないため)、計算に入れる必要はありません。

例えば、「夫婦子1人(小学生)」は、「夫婦」と同額になります。また、「夫婦子2人(高校生と中学生)」は、「夫婦子1人(高校生)」と同額になります。



ふるさと納税とは? | ふるさと納税 [ふるさとチョイス]

https://www.furusato-tax.jp/about

 

「なにわの芸術応援募金」で寄附する際に知っておきたいご自身の税金の控除がいくらまでなのか、

控除額をざっと調べられるサイトをご紹介しておきます。

総務省ふるさと納税ポータルサイトふるさと納税のしくみ|税金の控除について

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_zeisei/czaisei/czaisei_seido/furusato/mechanism/deduction.html#block02

ふるさと納税サイト「さとふる」 | 所得が年金の方、自営業者の方のふるさと納税控除上限額について

https://www.satofull.jp/static/limit.php

・税金計算機 | 所得税・住民税簡易計算機 | 1年間の所得税・住民税の年額・月額を所得金額や控除金額を入力するだけでその場で簡易計算!医療費控除、生命保険料控除、地震保険料控除、ふるさと納税にも対応。

https://www.zeikin5.com/calc/#dependent

 

〈参考:所得税と住民税をシミュレーションするならこれ!無料税金計算ツール3選

 

 

【今回のキャンペーンの目的:ココルームの経営基盤の一端をつくること】

これはコミュニティオーガナイジングというメソッドに学んだプロジェクトです。参加されましたらそれを体験する機会にもなるかもしれません。

目標:今回は、3ヶ月で、寄附者を200人、又は、寄附を400万円募る

 ・本日、パブリックナラティブを公開

 ・戦略のベースを5月6日までを目処に作る

 ・この状況なので関係構築は知り合いからとオンラインで

 ・SNSから「勝手に経営カイギ!」という集まりに招く

 ・そこで戦略を立て共有

 ・アクションとしては、今のところ思いつくのは、新たに作るサイトか個人の投稿を一斉シェア、オンラインブックカフェラジオなど。

 面白いアイデア募集中!

一人から始めて、出会う仲間とどこまでできるか、文字通りの挑戦。
「なにわの芸術応援募金」は昨年度4月から12月で、20余りの団体の登録がある中、集まっていた総額が716万円。1団体でその半分を目指してしまうプロジェクトになりました。
今後のプロジェクトのお知らせや動きはこちらでお伝えしていきます。

であいと表現.試み続ける!わたしたちの日常に、将来に、色彩をみる、きく、ココルーム応援プロジェクト - ホーム | Facebook

自らのしんどさは自分で引き受けながら、自分で、共に、面白く、楽しくなるようにしていきましょう。

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拙文を最後までお読みくださりありがとうございました。

あなたとあなたの周りの方々が健やかに過ごされますように。

 

cocoroom.org

NPO法人こえとことばとこころの部屋

 

communityorganizing.jp

 

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〈あそびのあいだ〉サイトを公開しました

エイプリルフールの昨日でしたが、嘘ではありません。

 

1ページのwebサイトを公開しました。
これまでここに短文や各時で投げかけていたようなものを、
事業の内容、あそびのあいだ や個人としての「はたらき」として言葉にし一つのところに置きました。
まだまだ拙いものですが、よろしければご覧ください。

 

その場に来る目の前の人と、会話をし、時間を共にする。それだけです。
能力の優る人、人格的に優れた人、より適した人がいるでしょう。
それでも、そこで居たのはわたくしなのでした。
そのはたらきはとても小さなものです。
常に必要とされるのではなく、
たまたま出会った時と
要のあった時に
一緒にいる
こと。

 

その後にこちらから期待は持たず、
常に、そこに向き合うのみ。
見、聴き、はなし、
感じ、居る。
影舞のように。
場を、ひらき続ける。
何の力もないので、人と場の力を借りて。
求められなくても、いるだろう誰かが来られるように。

 

よろしくお願いします。

 

https://peraichi.com/landing_pages/view/asobinoaida

 

 

ほとんどの場合、人は人の危機を察知することができないのだろうな。

(200312)

ほとんどの人は人の危機を察知することはできないと知る。

「助けて」を言えない人が多くいる、

助けてとは言わない人がいる、

発していても伝わるように言えない人もいる、

発していても伝わらないことも多くあるでしょう、

そして生きることをあきらめる。

人の世はそういうものだ。

自分のことをあきらめたとしても、

そういう人の声を拾い聴くことをあきらめたくはない。

けれど、現実的に無理なこともある。

持てるものを公共に資することも、同じく。

そろそろ潮時だ。

声をかけてくれた人、応じてくれた人にはとても申し訳ないけれど。

生を受ける前から現在までに、可能性をくれた人々に申し訳ないけれど。

あきらめたほうが楽。生きれば他の人の救いになる可能性があるとしても。

今、この社会は人が、能力のない人が生きることは容易くはない。

それがいまの人間社会の有り様だから、その能力がなかったということ、適応力がなかったということ、生きられないのはある意味自然の摂理。

それ以上は言えないこと、それだけの信念というようなもの、気概のないことも自覚している。

承認は要らない、事実を提示しているだけ。

社会のせいに、してるのかなぁ。周りのせいにしちゃうことなのかな。

寛容なお金持ちと出会えてたらなぁ。

日本のみなさんさようなら。

せめて他の人は救われてほしいと思う。

 

と書いてきたけど、そのつもりはなく話を向けられて会話して、Facebookにだけいたこと、人の多くない公園でただ少し声を大きく発してただけのようなもの、と思った。

少し猶予をもらおう。

そして、もっと知らない人に個別に投げかけよう。投げかけられるだけ、数打てば、というように。「見えない銃を撃ちまくる」ように。

気にしない人を相手にしても的外れ。

それが文明を使うということ。お題目を使うということ。なんだ。

人を無条件には生かさない社会

(200309)

結局、この社会は人を無条件には生かさない社会なんだと思う。

生きる/自分を生かす気力のない人は生きられない。

ある面では当然のこと、自然の摂理。

個々人の多くは人を助ける余力のない人たち。逆境から這い上がって/立ち上がってきた人は、人は追い詰められないとやらないと言い、守られ支えられ生きられてきた人は、人は安心感があって個性を発揮できると言う。どちらかに偏らざるを得ず、こぼれ落ちる人がいる、あるところの可能性を失う。人間は不完全であることの証左。

言葉の扱える人優位、頑張れる人優位、幸運を得た人優位の社会。当たり前のことなのだけど、だからこそ、その人たちがそうでない人に目を向ける必要がある、と思う。その方が世界は多様で豊かで、面白く、結果として、しなやかさを持ち持続可能性も高く、つまり「自分たちの世界」が続くことになる。

SDGsを声高に言う人のどれだけが、「誰一人取り残さない世界」と言いながら、目の前の人とまともに向き合ってるだろうかと思う。得手不得手はありますけどね、すぐ隣の人の声を聴こうとしてるのかね、目の前の人を見ようとしてるのかね。耳を傾けなければ耳に入らないし、目を向けなければ目に入らない。触れなければ接しなければ、自らには何も起こらない。

個々人の多くは人を助ける余力のない人たちっていうところで、さらに言えば、人と向き合う気は、ない人たち。制度を作り、仕組みを作り、個人の負担を減らした、のか?そうも言えるでしょう。けれど、制度や仕組みによってそうなった(余力も気もなくなった)とも言えるんじゃないか。「189」って、本当に専門家に任せなければならないときもあるでしょう、けれど、気になったら自分で行けよ!直接声をかけろよ、って思う。それを制度や仕組みに任せるから人任せの社会になるんじゃないですか、人が孤立するんじゃないんですか。人は完全じゃないから、元々面倒くさいものなんですよ。けどそれが当たり前で、当たり前であればただそういうものだと思って面倒くさくもならないし当たり前とも思わないですよね。

 

おれが何をしてきたか?それはわたくしを目の前にしてきた人たちが知ってるでしょう。おれはおれがそこにいたことで起きたことを自覚している、全てではないにしても、見え聞こえる限りは。おれにしか聞けない声、聞けなかった声があることを、実の事として知るようになった。その後のことは知らない。けれどその時はあった。要がなければ、縁がなければ、二人の間が、場や事柄との間が続かなくてもいい。要があったときに、縁があったときに、その人と、その場に、いるだけ自らとしてあるだけ。

問題は、この社会では人が余暇や余力ですることをおれは自分の動きの主にしていること。けどですね、「社会」に合わせた仕事じゃ生きられないんですよ。

それで生きられなければ仕方がない。そういうもの。人にもしあるならばその痛みや残念さを残したくはないけれど、残念さはお互いに引き受けざるを得ないもの。

それでも家をなんとかできなかった残念さは残るな。時間の重ねられてきた場所や場の持つものをなくしてしまうという残念さ。